続、コタツの話

調べた、以下wikiから転載

禅宗の僧侶により中国からもたらされたとされる行火(安価)が起源といわれている。当時は掘り炬燵であった。
室町時代には「火闥」、江戸時代には「火燵」と表記された。なお、燵は国字である。
火鉢とともに日本の冬には欠かせない暖房器具として発達した。
寺院や武家では火鉢が客向けの暖房器具で炬燵は家庭用であった。そのため「内弁慶」という言葉から、家庭向けの炬燵から出ようとしない引っ込み思案なことを表すのに「炬燵弁慶」という言葉が派生した。江戸時代中期には、置き炬燵が登場した。
戦後、高度成長時代になって赤外線を熱源とした電気炬燵が登場し、主流になっている。
現在は、冬場の暖房器具としてだけではなく、夏期にはこたつ布団をはずしちゃぶ台代わりとして通年利用されることが多い。そのため暖房器具ではあるが、通年商品となっている。このように、炬燵布団をはずした場合座卓に見える炬燵を、電化製品業界では家具調炬燵といい、家具業界では暖卓と呼んでいる。家具調炬燵(暖卓)の普及により、形状の主流は、正方形から長方形になりつつある。


禅宗の僧侶GJ!


おいおいなんだよ中国人冬なのに暖かそうじゃねーか!さすが4000年の歴史
よし決めた。これ持って帰る!日本に持って帰るのー!


みたいな事があったのだろうか?